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文が長いのは悪い癖です
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    こんばんは、2弾役者をやらせていただいてます山梨です。


    急なことですが昨日帰り際に倒れました。転んだな、と思ったら通行人のご婦人に肩を揺さぶられていました。まあこれは本題ではないのですが本題への導入みたいなものです。

    元々体調が悪かったのでさっさと帰路についていたのですが、電車に揺られているうちに目眩が酷くなりまして、最寄り駅に着いた頃には視界もほとんど機能していなかったんですね。真っ暗という訳ではなく、雨の日の泥色の水溜まりが視界全体を覆うような感じです。体調悪くなるとよくそうなるんですけど私だけなんですね。

    で、まあ倒れる直前なんて目眩でバランス感覚おかしくなってるわ視界はなんかおかしなことになってるわで散々だったんですけれども、脳の残った冷静な部分で思ったことがあったんですね。

    「今私は私以外を全く認識できないなあ」というのが真っ先に出てきた感想でした。では認識とは視覚に依存するものなのか。しかし目を瞑っていてもペンを握って「これはきっと形状からしてペンだな」と思うことは可能なわけです。なのできっと視覚というのはあくまでも認識の一部であって全てではないのです。

    で、ふらつく体をなんとか歩かせて家に着き、少し休んでから風呂に入っていた時に再び気がついたことがありました。湯気は目を開けていれば認識できるけれども目を瞑ってしまえば認識することが極端に難しくなるなあ、ということです。そこで私は認識というのはきっとその事象の輪郭を捉えることなのではないかと思ったのです。あ、勿論物理的輪郭に限った話ではありません。精神だとか世界だとかそういう非物質的なものにも認識という語は適用されるはずですからね。


    何故ここまでつらつらとクソつまらない認識に対する持論を展開してきたのかと言うと、個人的に「BLUE」はとても輪郭がぼやけている劇なのではないかと思ったからです。劇全体として見れば劇としての輪郭はちゃんとあるのですが(ありますよね?)内部に一度入り込むととても輪郭がぼやけている部分が所々であるのではないかな、と感じた訳です。なんと言い表せばいいのか、とても言葉選びに慎重にならざるを得ないのですが、階調が極めて滑らかなような気がします。あくまでも主観です。座組の人へ。解釈違いだったらごめんなさい、私自身この台本を捉えきれていない部分が私が自覚している以上にあると思うので「適当ぶっこいてんじゃねえぞ」と思ったら遠慮なく殴ってください。殴り返します。


    長くなってしまいましたが結局は面白いので観に来てくださいってことを言いたかったのです。


    ではでは。




    中大二劇2019年度冬自主公演第二弾

    BLUE

    脚本・演出 永沢地球

    *日時

    117()18:00

    118()18:00

    119()14:00/17:00

    *会場

    中央大学多摩キャンパス4号館4201「イベントスペースNight

    *料金

    入場料無料

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